菅直人は、なぜ震災翌日に原発事故の現場に行ったのか
    
                            (ブログからの転載 9/21~12/26映像追加
                               またブログには、まとめと補足説明をしています。)

震災当時の首相、菅直人は3月12日6時過ぎ、東京を離れて福島第一原発の事故現場に行っている。そこで7時半から8時半ほどまですごして、官邸に帰った。その行った理由がずっと謎だった。
そこで、当時の資料を時系列に並べ、真相を探ってみた。      

1.当日午前3時過ぎの枝野官房長官の説明
2.出発直前の記者会見

3.3月29日の参院予算委員会
4.5月16日衆院予算委員会(書換え10/2)
5.9月11放送TBSの検証番組
6.1年後の会見
7.今回、吉田調書公開にあたっての説明

関連する発言
※1.同年10月の海江田の説明
※2.吉田調書(10/3)
※3.『プロメテウスの罠』の奇妙な記述(10/11)

☆現地に行った理由について、菅などの説明の変遷(12/16)

☆とりあえず、現時点での推測(9/23)


※補足(9/25)

※引用について(10/2)


  
1.午前3時過ぎの枝野官房長官の説明映像(4分あたり)

「ベントを実施するが、その時間は東電側と調整中」、「現地の状況、実態を把握するためヘリで行く」、「現地との連絡は取れている」、「首相がいない8時半に原子力災害隊崎本部を立ち上げる」といったことが発表された。

また、質疑で(6分以降)、「そんなに遠くない時間になる」、「総理は原子炉の状況について現地から説明を受ける」、「ベントの前に説明が必要だからこの記者会見をやっている、3時20分開始は保安院の想定、発表してから作業をする」、「視察は現地の状況を直接把握したいという首相の強い思いから」

また、「総理が行くことによって現場の作業に差し支えないのか」という質問にちゃんと答えていない。「迷惑はない」という判断をしたという。「視察中に余震などがあった場合、どうするのか」という質問にも、ちゃんと答えていない。繰り返し、状況把握のため、と言っている。要は、枝野にも視察の意義が答えられないのだ。保安院の予定の3時20分を否定するあたりもなんだか微妙だ。
勿論、後に喧伝される「ベント作業のの尻を叩きに行く」なんて事は一言も言っていない。


  
2.出発前の記者会見魚拓

首相は午前6時すぎ、視察出発を前に「政府として全力を挙げて救済、復興に取り組んでいる。私はこれから福島原子力発電所に出かけ、現地の責任者ときちっと話をして状況を把握したい」と記者団に語った。

 午前7時すぎには福島第一原発に到着。防災服にスニーカー姿でマイクロバスに乗り込み、敷地内を視察した。その後、重要免震棟に移り、東京電力側から被災状況の説明を受けた。

 首相は現地で「住民のことを第一に考えて、しっかりと早め早めの対応をお願いしたい」と東電側に語った。その後、再びヘリコプターに乗り、宮城県沿岸部の被災地を上空から視察した。


状況把握のためらしい。ベントがどうとかは言っていないし、記事にもない。現地に降り立った時の右の写真を見るに、明らかに事前にセッティングして前から撮らせている。緊急事態だというのに。後に利用するためだろう。スティルカメラは向かって右から、映像は左から撮っている。下の5.参照。
同日の朝日号外にも同様の記述がある。


  
3.3月29日の参院予算委員会アドレス

○礒崎陽輔君 ・・・・・最高指揮官はやっぱり本部におって軍配を振るう、それがあなたの仕事じゃなかったんですか。それを放棄しちゃ駄目じゃないですか。

○内閣総理大臣(菅直人君) これは、指揮の仕方、今おっしゃったこともよく分かります。一方で、陣頭指揮という言葉もあるように、ある部分しっかりと現地を把握をしなければならない、あるいは把握をした方がいい問題もあります。
 率直に申し上げて、私はその後の経緯を考えますと、現地に行って、現地の責任者さらには第一発電所の所長に短時間ではありますが会って、直接その話を聞いた、あるいはその人物を見たということがその後の対策を立てる上で極めて有効であったと今でも思っております。

○礒崎陽輔君 ・・・弁は開かない、一つは電磁弁だから止まっている、もう一つは手動弁だけど圧縮空気がないんで開かないと。こんな緊迫した状態だったんですよ。そんな中であなたがヘリコプターに乗って視察に行った。おかしいじゃないですか、これは。そこに初動のミスがあったと言われたって仕方がないじゃないですか。
 もう一度、総理、答弁してください。

○内閣総理大臣(菅直人君) ・・・ そういう中で、やはり現地に対して状況がなかなか間接的なことも多くてつかみ切れないという状況もありましたので、私は、翌日の早朝に、一方では地震や津波の現状を視察をするということと併せて、短時間ではありますけれども、現地の第一発電所に赴いて、その現地で、現場で指揮を執っている人と状況の話を聞く、このことは私は、今においても、その後のいろいろな展開の中で大変厳しい状況が続いておりますけれども、そういう話ができ、現地の状況を伝えていただいたことは大変その後の判断に役立ったと思っております。


つまり顔を見れて良かったと。ただの一般論である。ベントを催促するために、というストーリーはまだ出来ていない。「直接その話を聞いた、あるいはその人物を見たということがその後の対策を立てる上で極めて有効であった」? 
その後じゃなくて、その時のベントの為じゃなかったのか?


   
4.5月16日衆院予算委員会(5月16日、衆議院予算委員会での質疑
(この日の委員会では非常に多くの発言があって整理が面倒で、書き直した。10/2)


○菅内閣総理大臣 
・・・
 例えば、午前三時には、経産省において経産大臣、つまり海江田大臣と小森東電常務がベント実施について会見もされております。つまりは、東電は、必要であればいつでもみずからの判断でやれる状況にあったわけでありまして、私たちも、先ほど言ったような状況の中で報告を聞いて、それはぜひやるべきだということを再三言い、海江田大臣も再三そういう指示を口頭で出していて、その結果、なかなか行われないので、最終的に措置命令ということになったわけであります。
 そのことと私の視察について、特にそのことでおくれた云々のことはないというのが、現地の東電からもそういうことは影響されていないというふうに言っていると理解いたしております。


これは二重にウソ。ベントの発表と菅の視察の発表は同時。海江田の発表と同じ3時。また、出発前には、海江田と連絡は取っていない。あたかも、海江田が発表したのにベントがなされないから自分が行くことにしたのだ、という弁明なんだけど、時系列にあわないし、枝野の記者会見ではそんな状況ではない。むしろ早期のベントを否定している。恐らく、いわゆる「菅首相英雄譚」はこの辺りから始まったのだろう。


○西村(康)委員 水素爆発や水蒸気爆発が起こる可能性があるということを助言しなかったんですか。総理が行かれるに当たって助言しなかったんですか。

○班目参考人 水素爆発については、そのときは助言していないと思いますが、当然、格納容器の圧がかなり高くなっていますので、格納容器が、爆発という言い方をしたかもしれませんけれども、要するに破裂する可能性はあるということは認識していましたし、そのようなことは助言していたと思います。

○西村(康)委員 総理、総理、安全委員長が今物すごく重大なことを言われましたよ。格納容器が破裂するかもしれない。これは大量の放射性物質が外に出るということですよ。そういう状況の中で、あなたは防護服も着ずに現地視察に行ったんですか。どういう認識で行ったんですか。

これは一つのポイント。避難措置を出してる所に、最高責任者の総理を、防護服も着せずに行かせている。奇妙な話ではある。しかも爆発の危険があったというのに。


○班目参考人 少なくとも、ベントがここまで遅くならず、もう少しでも早く実行されていたらば事態の悪化は防げた、それは確かだったと思います。

○西村(康)委員 大変大事な指摘でありまして、少なくとも二十二時、地震、津波、震災のあったあの十一日の二十二時の段階でベントの命令を早く出していれば事態の悪化が防げた、そういう理解でありますけれども、今まさに安全委員長が言われたように、早くできていれば、早くやれていれば事態の悪化は防げたという答弁であります。


なぜか、政府の措置が遅れていた、ということ。「十一日の二十二時の段階でベントの命令を早く出していれば事態の悪化が防げた」 これも重大。しかも官邸でそう話したとも言っている。しかも、現地には避難命令を出していて、3キロ圏避難は、前夜中に終わっていた。


○西村(康)委員 ・・・ 総理は、最高司令官として、本部長としてその後もいろいろ指揮をとらなきゃいけない立場なんですよ。それなのに、弾の飛び交う前線にヘルメットもかぶらずに行くようなものです。なぜそのような行為をとったのか、そこだけをお伺いしたいんです。その点、お答えいただきます。

○菅内閣総理大臣 何回も申し上げますけれども、私としては、やはり現地で実際に指揮をとっておられる方と話をすることが極めて重要だ、そういう認識で行ったわけでありまして、そのことがその後のいろいろな対応を決める上でも大変プラスになった、こう考えております。

西村議員が、なぜ爆発が起きるかもしれない危険な場所に防護服も付けずに行ったのか、という質問を何度もしてるのだが、菅は、直接現地と話すことが大事だ、という筋違いの返事をしている。この応酬は何度も繰り返されてる。おそらく、菅は、行った理由を隠したいのだ。そしてその理由としては、ベントとは思えない。「現地で実際に指揮をとっておられる方と話をすることが極めて重要だ」、これが菅の言えるせいぜいの目的だった、ベントの催促とは思えない。



○班目参考人 当然、ベントをしないと格納容器は破裂してしまう、だからとにかくベントを急いでください、そればかりを申し上げていたということだけは確かでございます。

(3月28日、参院予算委での発言)
○政府参考人(班目春樹君) 原子力安全委員会委員長の班目でございます。
 この事故が起こった直後に安全委員会としては、この問題を収束させるのは、いずれにしろ水を注入すること、そして発生する蒸気をベントすることしかないということは即座に判断してございまして、そのことについては、総理ではなくて、たしかあのときは海江田大臣だったと思いますが、にお伝えしてございます。このことは私がお伝えする前から大臣の方は承知で、既に東京電力の方に対して指示済みであったというふうに思っております。その後、どういうわけかが、私のところにはさっぱり上がってこないんでございますが、なかなかベントがされていないということは確かに事実でございます。
(3月28日分は以上)

○海江田国務大臣 ・・・そして、班目委員長からもお話ありましたけれども、これは大変な事態だから一刻も早くベントをやってくださいということを再三再四にわたってお願いをしました。それは、先ほどもお話をしましたけれども、すぐそばに東電の幹部の方がいましたから、その方に向かって。

○菅内閣総理大臣 ・・・それはぜひやるべきだということを再三言い、海江田大臣も再三そういう指示を口頭で出していて、その結果、なかなか行われないので、最終的に措置命令ということになったわけであります。

つまり、海江田も班目も菅も、みんなベントの催促をしてたけど、現地がやらなかったらしい。班目にもその返答はなかったと。そして、菅は現地に行くのだが、当時の記者会見、3月での国会質疑、菅はそんな事はいっていないのだ。行っても、ベントをしなかった理由を聞いていない。おかしな話だ。欺瞞があるとしたら、菅しかないだろう。海江田は後のインタビューも含めて、一環してベントの催促をしていたと言っている。班目も。しかし、菅はこの時期の前の3月、また今年の吉田調書が出てからも、それは言っていない。この時期にだけ言っている。おそらくウソだろう。多分班目も海江田も菅のミスを認識してるだが、庇ってる。

この時期、つまり2011年中盤から後期にかけて、菅の英雄物語が作られる。この5月辺りがその開始時期なのだろう。また枝野の記者会見でもそういう状況認識とは思えない。むしろベントを3時以降に遅らせようとしている。菅の主張と矛盾している。かも、菅の行った理由が全くはっきしりしない。ベントの催促なら、一貫してそう言うだろう。ここでの証言を見ても、状況が知りたかった、という発言が多い。多分、それぐらいしか、いえなかったのだ。おそらく、ちゃんとした指示を出さなかった、そしてその前に現地で陣頭指揮を取っている映像を撮ろうとした。それが行った理由だろう。ちなみに、正式な指示は6時50分、菅が現地に着く直前。出来すぎている(笑)

   
5.9月11日放送のTBSの検証番組映像(26分40秒辺り)・・・これは貴重だと思うからDLしておいた方がいいのでは。菅が現地に降り立ったときの映像もある。

「私は吉田所長にベントやった方がいいんじゃないですか、と言ったら、吉田所長が、分かりました、やりますと言った。で、その後実際の作業に移っていくわけです。」
「その前がなんで出来なかったのか、というのが未だに私は良く分からない」


菅の発言はこれだけだが、この中に二つの問題がある。
一つは、「その後実際の作業に移っていく」とあるが、ここに欺瞞がある。その後、というのは、菅が帰ったあとの9時過ぎなのだ。緊急事態だと分かっていたならすぐにやらせればいいだろう。
もう一つ、それまで出来なかった理由をなぜ、菅は聞かなかったのか? 「菅英雄譚」によれば、現場がどうしてもベントしないから行った、という事になっている。もしそうなら、理由を聞くはずだ。なぜ聞かなかったのか? そしてなぜ大幅に遅れたのか。
答えはおそらく、こう。「菅の意識にはベントが無かったから」である。一応政府命令は出ているのだから、ベントの話ぐらいはしただろう。しかし、さして気にしてなかったから聞かなかったのだ。
インタビュー最後の場面での菅の表情が微妙だ(笑)。ウソを付いている顔に見えるのは私だけだろうか。
全く状況把握になっていないではないか。

その後に出てくる角南氏が、ベント命令は前日中に出すべきだった、と言ってる。菅のそばにいた斑目氏も同様の事をいっている(5月16日衆院予算委の質疑)。しかし、しなかった。ここがこの震災の最大のポイントだったろうと思う。

そのシーン切り出し




   
6.一年後の国会事故調での説明(2012年5月12日)魚拓

櫻井正史委員(弁護士、元名古屋高検検事長、元防衛省防衛監察監)から「なぜ現場視察に出かけたのか?」と問われた菅氏は「対策を取るうえで現地を見ることが極めて大切。官邸に原子力委員会や東電の方がいたが、根本的な状況についての話は全然出なかった」と答えた。

やはり、状況視察のためだという。そして、こうも言っている。

最大関心事であり説が分かれるベントについて問われると、菅氏は次のように答えた――
 「“なぜ遅れているのか?”と聴いても“わからない”と言われた。困った。私自身がF1の責任者に直接聞くことが必要だと思った。吉田所長と武藤副社長が同席し、その中で炉の図面などを見せられ状況を聞かされた。“ベントをなんとか早くやってくれ”と言ったら、吉田所長は“わかりました。決死隊を作ってもやります”と言った。この所長ならやってくれると思った」。

なぜ、ベントが出来ないのか、と聞いた相手は、官邸詰めの東電関係者。それで福島に行って吉田所長と話すのだが、なぜか、その時は理由を聞いていない。それを一緒にして、なんとなくごまかして話してる。おかしな事だ。それは、行った理由がベントのためじゃないから。


  
7.今回、吉田調書公開にあたっての説明(9月12日のブログ)魚拓

私は住民の避難を判断するのは原子力災害対策本部であり、本部長としてベントがいつ行われるか、その時どの程度の放射性物質が放出されるかを知る必要があったこと。東電本店から官邸に来ていた武黒氏は説明ができなかったこと、そのため現地に行って責任者から話を聞く必要があったことを繰り返し述べた。それにもかかわらず、住民避難の判断のための現地訪問であったことを、フジテレビはわざと報道内容から省いている。そして国会事故調の「過剰介入」と言う見解を紹介している。原発がどの程度危険な状況にあるのかを知ろうとすることが過剰介入と言うのは住民の避難を考えなくてはならない原子力災害対策本部の本部長の立場を全く理解していないからだ。
フジテレビはなぜ私が強調した住民避難の判断のための現地訪問であったと言う私の発言を報道しなかったのか、説明を求める。作為的報道だとしたら大問題だ。


現地の状況が、良く分からなかった、また、ベントがいつ行われるか知らなかった、だから、現地に行って状況を知る必要があったという事だ。
一般に「菅英雄譚」(笑)として知られる、現地がベントをしようとしなかったから、尻を叩くために行ったというわけではない。そもそも現地の事が分からなかったから行ったという。


関連する発言
   
※1 .同年10月の海江田の説明魚拓 p11

司会 12 日早朝の、総理の福島第一原発現地視察について、海江田大臣が知ったのはいつですか。大臣は、それに賛成されたのですか。
海江田 これは総理が自分から言い出したことであって、それをとめる権限は私にはありません。いつ知ったかというのはあまりはっきりしていません。ただ、行くことになったということで。あのころはまだ暗かったですから、明るくなって、ヘリコプターが飛び立てるような状況になったら行くことになったという話は聞いたわけです。
司会 大体何時ごろですか。大臣が6時 50 分に命令をして、総理が9時過ぎですか。海江田 もっと早い、6時何分に出たのではないですか。
司会 6時にスタートですね。
海江田 スタートしていますでしょう。はっきり言って私はベントのことで頭がいっぱいでしたから、あまり総理の行動については関心がなかったというと申しわけないけれども。
司会 例えばそのときに保安院のトップとか、保安院のだれかをつけてくれとか、そういうものはありませんでしたか。
海江田 ありませんでした。ただ、班目さんは行ったようですね。
司会 班目さんは行きましたね。
海江田 保安院は行っていないのではありませんか。
司会 保安院は、もう既に池田さん(副大臣)が現地に行っていて、出迎えているときに黒木審議官が行っていますね。
海江田 そうですか。ただ、一緒のヘリコプターで行ったのかそれはわかりません。


つまり海江田も知らない内に行っていて、後で知った模様。海江田とは行く前はベントの事は話していない。
「あのころはまだ暗かったですから、明るくなって、ヘリコプターが飛び立てるような状況になったら行くことになったという話は聞いたわけです」。これもポイントとなる発言。何気なく真相を漏らしている。

明るくなったら行く・・・「行かなければならない状況があるが、今は行けない、翌朝行く」、ということである。その状況とは何のか、行って何をするのか。
各種の資料を見るに、行ってから特段の事はやっていない。行って状況を見たぐらいである。ベントも直ぐにやらせたわけでもないし、所長と話ただけ。そんな事なら電話ででも出来る。一体何のためにいったのか。


   
※2.吉田調書ソース

※2-1.菅直人来訪について

質問者 この辺り、そのあと 7時 11 分に、内閣総理大臣が到著されるということが書いてあるんですけれども、総理が来られるということは、いつごろそういう話になったんですか。
回答者 時間の記憶がほとんどないんです。いつ最初の情報が来たとか、でも、多分 1 時間くらい、 今出られたと、ヘリでですね、そういう話が入ってきているので、到着の最低 1 時間以上前には出られ たという話が入ってきているはずですから、その 6 時前後とかには、来るよという情報は入ってきたん だろうなという、これは今からの推定ですけれども、そうだと思います。
質問者 これは、本店を通じてですか。テレビ会議か何かで。
回答者はい。
質開者 では、何のために来るということだったんですか。
回答者 知りません。

質問者 そういう目的も伝えらず、いきなり来ると。
回答者 行くよという話しかこちらはもらっていません。

どうも特に目的も無く来たらしい。

質問者  これで来られて、総理は、結局何をここで所長に対してお話をされていたんですか。
自答者  まず来られて、ここから先に案内していたので、そこから私が入っていって、座った時点で、 かなり厳しい口調で、どういう状況になっているんだということを聞かれたので、要するに電源がほと んど死んで、いますということで、制御が効かない状態ですと、何でそうなったんだということで、その 時点ではっきり津波の高さもわかりません、津波で、電源が全部水投して効かないですという話をしたら、 何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを班目先生に質問したりとか、そういうこ とをされていて、要はそういう現場の状況を説明して、あとはベントについて、ベントどうなったというから、経産大臣から命令が出た直後だったので、出ましたと、我々は一生懸命やっていますけれども、 現場は大変ですという話はしました。記憶はそれぐらいしかない、時間はそんなに長くなかったと思い ます。


特にベントが遅れた理由など聞いていない。とにかく状況が知りたかったらしい。それは、菅の発言の大部分でそういう事をいってるのだから、そうなんだろう(笑)。しかし、態度の横柄な事この上ないな、菅直人って人間は。

質問者  それで、横の部屋に行けば円卓があって、そこでみんなでわいわいと対応をされている現場 に非常に近い状況が、壁一枚向こうにあるんですけれども、総理はそこに激励なり。
回答者  こういって、こう帰られましたから。
質問者 行かれていないんですか。
回答者 はい。
質問者 中を。
回答者  全く、こう来て、座って帰られましたから。
質問者  それで、帰られたのは、 8 時ころなんで、すね。
回答者 はい。
(これは当時の管制室の図を見ながら話してるのだろう)

原発の事故対応に必死な技術者達に声をかけることもなく、ねぎらう事もなく帰った。まあ、来たという証拠だけが必要だったんだろう。ろくでもない野郎だな。


※2-2.ベントの開始時間など

質問者 例えば、円卓の周りにいる復旧班の人間だとか、発竃班の人間なんかが、あらかじめ、今後、 ベントというとともあり得るんではないのかなということで、事前に、例えば設計の継続線図なんかの 図面を聞いて、どこにどういうような配管が通っていてというような検討なんかは、されていたかどう か。
回答者  そこは、私はよくわからないんです。私の方から、ダイレクトにベントしなければいけないという発案をしたのは、多分この 600 キロを超えたというところからですけれども、自発的にそういう 検討したかどうかは、私は把握しておりません。

(これは、11日深夜の事と思われる)

質問者  ここでは 1 号機ということで時系列で書いてありますけれども、時系列を見ていくと、これ は、 2 号機と 1 号機両方の、 7 ページの方でも同じように書いてありますね。 1 時 30 分ごろに、 1 号 機及び 2 号機のベントの実施について、総理と経産大臣、保安院に申し入れて了解を得るというふうに あって、この時点で、 1 号機と 2 号機についてベントの実施を考えていたということになるんですか。 
回答者  これは、 2号機の方はさっき言ったみたいに炉水位も見えていない、 RCIC の動きも、要す るに 1 号機はさっき言ったみたいに、 IC が動いているかどうか、非常に不確かなので\動いていないん じゃないかとなっているんですけれども、 2 号機の方は、もう少し前から RCIC の動作状況がわからな くなっている、動作しているかどうかわからなくなっている。それから、水位が見えないという状況が あるので、結局、 2 号機については、線量が上がっていくことはなかったんですけれども、結局、状況 としては炉水位が下がっている可能性だって否定できないわけです。そうなってくると、 1 号機と同様 にベントが必要だろうということで併せて考える指示をしたわけです。


つまり現場からベントの要求をしている。それが1時半。その後、1時40分に保安院から官邸にもベントの請求が行っているのは分かっている。一方で、官邸詰めの班目委員も、ベントをしなければまずいというと思ってたらしい。一体官邸は何をしていたのか。何もしていないではないか。菅がベントを気にかけてた、というのは全くのウソだろう。この上にある菅来訪時の発言では、>「ベントどうなったというから、経産大臣から命令が出た直後だったので、」とあるのだが、現場は6時50分までベントの指示が出てたのを知らなかったのかも。もしそうなら、菅の「それはぜひやるべきだということを再三言い、海江田大臣も再三そういう指示を口頭で出していて、その結果、なかなか行われないので、最終的に措置命令ということになったわけであります」というのも完全なウソになる。


※付けたし

回答者 ・・・ですから、一番遠いのは官邸ですね。要するに大臣命令が出ればすぐに開くと思 っているわけですから、そんなもんじゃないと。
質問者 それが言いたいんですよ、開けと言えば、すぐ開くのが当たり前と思っている人と、本当に 聞かせようと思ったら、やらなければいけないことに落とし込んでいくと、物すごくたくさんのことが 出てきますね。やはりそこの差がとても大きい感じがします。
回答者 ここは、是非、そこの差というものを、もう少しビビッドにちゃんと訴えるべきだというか、 これから先も、やはりこういうことは山ほどあると思いますので、ここのギャップというのは、しっかりと卿説明していきたいと我々思っております。
質問者 すごく思います。これは、技術的なことの技術書云々で何とか偉そうなことを言うのとは違 って、本物を動かすというのと、指示を出すだけとの間に物すごい距離があって、質的にもいろんなも のがあるんだというのを意識しないと、本当の一番実現したい安全は出てこないんだというのを、どこ かで学んだことにして言わないといけないんではないか、今、聞いていると、すごくそういう感じがし ます。

ここが恐らく、菅直人の決定的にダメなところだったんだろうと思う。鳩山もそうだが。「最低でも県外」とかいうのも、首相になって、「県外に移転」と一言言えば、特に問題も無くそうなると思っていたのだろう。よく民主党について、エドマンド・バークの「偽善者は素晴らしい約束をする。約束を守る気がないからである。」という言葉が引用されるが、実際の民主党の連中はその域にすら達していない。言えば出来ると思ってたらしい。 ただし、小沢を除く(笑)。彼は確信犯だろう。


   
※3.『プロメテウスの罠』の奇妙な記述

朝日新聞連載、学研出版の『プロメテウスの罠』の該当部分を見ていく。(p221~246)

まずそこに書いてある事実関係。
1.11日午後9時、官邸危機管理センターで会議、冷却水用ポンプの確保、さらにはベントが必要との認識
2.避難範囲は、安全委員会の指針は10キロ圏、IAEAの指針は3~5キロ、毎年の避難訓練では2~8キロ
3.9時23分、3キロ圏内の避難と、10キロ圏内の屋内避難が指示される。
4.冷却ポンプ用の電源車の手配がされるが上手くいかず。10時間でメルトダウンが起こるとの予測
5.10時44分、今までの1号機関連とは違い、2号機で2時間でメルトダウンの可能性が指摘される。
6.12日、午前0時6分、吉田所長は、1号機に関して、ベントの準備をするように指示。
7.0時57分、1号機でベントが必要との合意が、菅以下出席者でなされる。武黒は準備に2時間必要と認識
8.3時ごろをめどにベント実施と決定。
9.3時6分、海江田と東電が記者会見、いつでもベントできるとの認識。
10.同12分、枝野記者会見(上記、1.)。同時に菅の視察発表。
11.同4時半、なぜベントしていないのかの問いに東電は電動ベントは使えないので手動の準備をしていると回答。
12.菅は斑目からベントが出来なかったら爆発の危険があると聞かされ、5時44分、避難区域を10キロ圏に広げた。
13.避難人数が大幅に増え、また、現地に上手く伝わらず混乱、7時48に連絡が付いた自治体もあった。
14.6時14分、菅は、官邸をヘリで飛び立つ。斑目、寺田学、記者(津村一志)、医務官、秘書ら12人
15.7時12分、現場着。なぜベントが出来ないのかと怒鳴る。
16.その前6時50分、ベントをしないのに怒った海江田は、原子炉等規正法に基づき、1、2号炉のベント発令。
17.菅ら一行は、7時20分、免震重要棟に入る。
18.吉田所長、武藤東電副社長らが「1時間後までに手動でやるかどうか決める。電動には4時間かかる」と回答。
19.菅はそんなに待てない、直ぐにやれといい、吉田が決死隊を作ってやる、と答える。手動に向けて動き始める。
20.福島第二原発でも、7時45分に緊急事態宣言発令、3キロ圏の避難と10キロ圏の屋内避難が始まる。
21.8時29分、東電は、9時ごろからベント実施と報告。9時4分、ベント作業始まる。
22.第1班が、25%開けて戻るが、その後線量の増加によって停止。その後遠隔操作でのベント作業。
23.10時47分、菅が官邸に帰る。
24.2時30分、圧力が下がり、ベント成功と判断され報告される。
25.3時36分、1号機の建屋爆発、4時49分、全国放送。

大体以上になる。色々と不審な点がある。

8.のベント決定は、現場に伝えられたのか? そういう記述はないし、吉田調書でも6時50分の命令で初めて知ったかのように書いてある。テレビ放送はされたが、吉田が見ていたとは限らない。
7.の吉田自身でのベント準備は、調書にあるとおりで事実だろう。しかし、準備と実行は全く違う。

さらに、
9時過ぎ、菅とあって後、直ぐに実行に移っている。もし、3時に伝えられたのなら、直ぐに出来ただろう。勿論、周囲の状況や明るさの問題もあるだろうが、もしそれなら、菅とあった際にその理由を言っているはず。しかも菅も、何故出来なかったのか聞いていない。これはどの資料でも同様。それどころか、TBSの番組では、なぜ出来なかったのかどうしても分からなかったと言っている。何故聞かなかったのか? 実に奇妙な話だ。しかも、菅の英雄譚では、ベントの催促を散々したことになっている。しかし、菅の弁明でもそれは一環していないし、他の資料や国会答弁にも反している。現場で実際に行われた会話や行動が、発表されたものとかなり乖離している。
ウソが混じっているのだ。

菅はなぜ現場に行ったのか? この本でも分からない。ベントの催促のためという理由は決定的に成立しない。

11.の回答と、18.の回答が矛盾している。一体、電動や手動のベントの検討を開始したのはいつなのか?
同じような事態が繰り返されている。まるでタイムワープしたみたいに。

12.の避難地域の拡大の意図が不明。これは爆発に備えて、ということだが、それはベントが出来なかった場合の事なので、
それより先にベントをやれば良いだけの話だ。

ようするに、16.から19.までベント実行関連の行動は、実は、4.の避難指示以降、少なくとも、6.の吉田所長の準備指示以降になされるべきだったし、それが出来ない状況ではなかったのだ。
つまり、
前日午後10時から12時過ぎまでの間に、ベントの発令と実行がなされていなければならない。

ところが、
それが、10時間近く遅れた12日9時過ぎになってしまった。その理由は何か?
勿論、菅の視察を入れるためである。それ以外にあるとは思えない。そもそも菅の視察の理由がないのに入れている。
全く無意味な視察を入れたばかりに、ベントが10時間ほど遅れた。

この責任は誰にあるのか? 勿論、菅だ。



☆現地に行った理由について、菅などの説明の変遷

1.当日(枝野)・・・現地の状況把握
2.出発前の記者会見(菅)・・・現地の状況把握
3.3月(菅、国会)・・・陣頭指揮で、現地の状況把握
4.5月(菅、国会)・・・現場がベントをしないから催促に(いわゆる菅英雄譚)
5.9月(菅)・・・言った理由は不明。なんでベントが出来なかったのか分からなかった。
6.1年後(菅)・・・現地の状況を見ることが大切だから。ベントが出来ない理由は官邸詰めの東電関係者に聞いたが、現地では聞いてない。
7.吉田調書公開後(菅)・・・住民避難の判断のための現地訪問だった

   
とりあえず、現時点での推測(9/23)

おそらく、前夜中にベントの必要性は認識され、菅にも伝えられていた。
しかし、官邸側は指示を出さなかった。
理由は、ベントの前に、管が現地で指揮する映像を撮ろうとしたから。人気回復に利用しようとした。
しかし、夜中ではヘリは飛ばせないし、撮影も出来ない。
だから、翌朝まで待って明るくなってから現地に行くことにした。
それで、3時の記者会見で、ベントと菅の視察が同時に発表された。

だから、この事態でのミスは、管が現場に行って初動を混乱させたことではなく、菅の映像を撮るために、ベントを翌朝まで遅らせたことにある。現場視察にばかり目が行っていたから、そちらに引っ張られた。
吉田所長が、菅が邪魔になって復旧が遅れたということはない、といってるのとも符合する。

菅は、ベントさえやれば復旧すると軽く考えていた。帰ってからも野党党首と上機嫌で話してるらしい。だから、現地でもあまり突っ込んだ話はしなかった。また行った理由が二転三転してはっきりせず、現場の人との顔合わせだのと適当な事を言っているのもそういう背景があったから。
のちに、菅の英雄譚が捏造されたのも、そういった負い目があったから。菅の手落ちを過剰にカバーしようとした。

以上だと思う。

まとめると、
菅は、原発事故を収束させたのは自分であることの証拠写真を撮りにいった。ついでに、現地の所員とも特に印象に残らない話をした。その後、対応の遅れの結果、原発は爆発した、という事。

   
※補足

前夜中に近隣住民の避難は終わっていた。3キロ圏避難、10キロ圏屋内退避→大熊町実態調査


菅の犯罪的行為はこれだけではない。12日夕方の海水注入中止問題、15日の東電本社怒鳴り込み事件(笑)。前者は吉田所長が無視して、実態に影響はなかった。後者は混乱している事態をさらに紛らわせた。しかし、これらは、二次的な事件であって、ベントの問題よりは、重要度は落ちる。
是非、当時のビデオ映像を公開してほしい。かなりの程度、真相が分かるはず。
   
※引用について

話言葉の引用は難しい。整理されてないのでどうしても長くなる。短く端折ることは可能だが、そうすると、意図を捻じ曲げてる印象を与える。しかし、丸々引用すると長くなってしまい、焦点が分からなくなってしまう。その辺りの妥協的なレベルで引用している。元の発言で確認して欲しい。